> > 僕が見た被災地 > レスキュー隊員から聞いた最前線の現場での様子

石巻市では被害の大きかった大川小学校にも足を運びました

宮城県南三陸町でボランティア活動する三助さんが、実際にその目で見てきた被災地の様子を紹介するコラムです。
  ◇        ◇ 6月16~18日、仙台市、南三陸町、石巻市を訪問しました。前回は仙台市での様子を紹介しましたが、今回は石巻市で出会った特別救助隊(通称レスキュー隊)の皆さんから聞いた震災当日の話を紹介します。
3月11日、レスキュー隊員のKさん(31)は、地震で倒壊した家屋の下敷きになった女性の救出指令を受け、4人で出動しましたが、戻ってきたのは3人だったと言います。なぜなら現場が海のそばだったため、地震の後に襲ってきた津波に救助活動中のレスキュー隊員たちも飲み込まれてしまったのです。間一髪、屋根の上に飛び乗ったKさんは沖へと流されました。
やがて日は落ち、真っ暗闇の中、遠くに見えるのは火事の光だけ、携帯電話も通じない…「自分も終わりだな」と感じたKさんはタバコに火をつけ、携帯電話に妻子への遺書を残し、左胸のポケットに入れました。何となく陸に流されていると感じたKさんは、覚悟を決め、海へと飛び込みました。海には油やヘドロが浮かび、大量のがれきでウェットスーツごと身が削られます。死を覚悟したKさんでしたが、彼の肩で光るストロボライトの明かりを見た人たちの「助けてくれ」という叫び声があちらこちらから聞こえてきました。Kさんはその人たちを泳ぎながら担ぎ、屋根やタンクの上へと助け上げながら泳ぎ続けました。
Kさんが陸地にたどり着いたのは泳ぎ始めてから3時間後。救助した人の指には目印でひものようなものを巻き付けるのですが、100本持っていたのが3本しか残っていなかったそうです。この97人が助かったのかどうかわかりません。でも「みんなを助けるために必死だったから心が折れる間もなかった。だから泳ぎきることができたんです」と振り返ります。
Kさんはそのまま救助活動を続け、家に帰ることができたのは、4月3日のことでした。それもたった3時間だけで、またすぐ救助活動へと戻ったと言います。Kさんは700体の遺体を回収しました。命の価値に対する感覚すら麻痺してしまうほど目の前の現実が過酷過ぎて、心に余裕もなかったそうです。初めて聞く最前線の現場の様子に僕たちは衝撃を受け、言葉を失ったのでした。
  三助プロフィル…宮城県南三陸町で活動するボランティアグループ「F.K.Arms」リーダー。普段は公立中学校で勤務