> > 僕が見た被災地 > 被災地で聞いてきた話を九州の人たちに伝えたい

震災から2カ月後の長塩谷地区。
奥に見える建物に現在も佐々木さんは1人暮らしている

宮城県南三陸町でボランティア活動する三助さんが、実際にその目で見てきた被災地の様子を紹介するコラムです。
  ◇        ◇ 東北の人たちは、とても厳しい自然の中で生活しています。“周りもみんな寒いんだから”と、黙ってじっと耐えるような人たちです。しゃべるのも寒いような場所だからか、九州の人たちに比べて元々無口な人が多いように感じます。
そんな人たちだから、震災後つらくても苦しくても、じっと我慢しています。たとえどんなにつらくても、その気持ちをボランティアとして突然現れた僕らには打ち明けてくれません。助けが必要だとしても、「手伝って」とか言ってくれません。だからいきなりボランティアで行っても手伝うような仕事が見つからず、泣くだけで何もできないまま帰ってきてしまう人もたくさんいます。何回も同じ場所に足を運び、顔見知りになって、ようやく気持ちを打ち明けてくれるようになるのです。
南三陸町の隣町、石巻市長塩谷地区で出会った佐々木力さんは、津波によってすべての家が流されてしまったこの地区にたった1人で住んでいます。  ある時、佐々木さんからとても悲しい話を聞きました。地震の後、津波は押しては引くを繰り返しながら、何度もやってきたそうです。高台に避難していた佐々木さんたちは、第一波でどこからか流されてきた家の屋根の上に、抱き合う幼い姉弟の姿を見ました。2人とも小学校低学年くらいの年齢に見えたそうです。そのまま2人は内陸方面へと流されていきました。
しばらくして引き波となって戻ってきた波の中に、あの姉弟の姿がありました。2人は抱き合ったままだったといいます。そしてそのまま、がれきや粉塵、水しぶきでグチャグチャになった海へと消えていきました。高台の人々は流されていく2人をただ見ていることしかできませんでした。幼い姉弟はどのような思いで屋根の上で抱き合っていたのか。助けることもできず見ているしかできなかった人々がどのような思いだったのか…。僕は涙が止まりませんでした。
被災地の人たちは、そのような体験をしているのです。つらい体験を自分の中に閉じ込め、じっと耐えているのです。人に話して聞かせるのも、とても苦しいことです。それなのに、震災を体験していない僕に話して聞かせてくれた…。だから僕は悲しい事実も含め、被災地で聞いてきた話を九州の皆さんに伝えなければならないのです。
  三助プロフィル…宮城県南三陸町で活動するボランティアグループ「F.K.Arms」リーダー。普段は公立中学校で勤務