> > 僕が見た被災地 > “ボランティアも被災する”その言葉を体感した5月

見たことのない絶望的な光景が広がっていた

宮城県南三陸町でボランティア活動する三助さんが、実際にその目で見てきた被災地の様子を紹介するコラムです。
  ◇        ◇ ボランティア活動の時は、「三助」というニックネームを使っています。僕の名前や普段の仕事なんて、被災地の人たちにとってはどうでもいいこと。「また三ちゃんが九州から来てくれたよ」。それだけでいいんです。
昨年は5月、8月、年末年始と東北に3回行きましたが、毎回自家用車で行っています。最大で8人乗れるワゴンに、インターネットで呼びかけ集まった仲間たちと1週間分の食料、寝袋、テントなどを乗せ、フェリーで大阪へ。そこから南三陸町まで約1000km、さらに現地で約1000km、帰りは大阪まで約1000kmを走ります。

車の窓ガラスには東北へのメッセージ

「最初は僕がみんなを連れて行く。それでノウハウを知って、次は自分たちで活動してくれれば、どんどん活動の輪が広がっていく」というのが僕の考え方です。だから運転手は僕一人。以前バスの運転手をしていたので、他人の運転だとどうも落ち着かなくて…。みんなの命を預かるという責任があるので、僕の仕事は彼らを東北まで連れて行くのが40%、現地での活動が20%、九州まで連れて帰ってくるのが40%だと思っています。
初めて被災地に行く時、福岡市消防局の森田浩章さんから「被災地には1週間以上絶対いてはいけない。ボランティアも被災してしまうから」と、何度も言われました。森田さんは新潟県中越地震の際、災害ボランティアリーダーとして活動し、東日本大震災の発生後も何度も被災地に入って支援活動を行ってきたエキスパートです。
森田さんの言葉の意味が分かったのが5月、南三陸町からの帰り道でした。休憩のため立ち寄ったサービスエリアで、車から下りた仲間の女性が突然感情を抑えきれなくなったのです。とても気の利く女性で、それまで変わった様子はまったくありませんでした。被災地で100%以上頑張り続けたことで、彼女の心も被災してしまったのです。「ボランティアの被災」を実際に体感したことで、それ以降の活動でも滞在は1週間までという森田さんの言葉を守っています。
  三助プロフィル…宮城県南三陸町で活動するボランティアグループ「F.K.Arms」リーダー。普段は公立中学校で勤務