> > 技ありの人間関係 > 教師・親の仕事
 
 
 
 
「ドーン」。地下鉄で電車を待っていた人の話。いきなりそばで大きな音がしたので、びっくりした。横にいた男性が電車の扉をけったのだ。理由は扉の開くのが遅かったから。今までに見たことのない光景に時代を感じたという。  この人は、なぜ目の前のささいなことを辛抱できなかったのだろうか。それは心に言葉がないからかもしれない。
オヤジの口癖「良く忍ぶ人を仏と呼ぶ。辛抱しろ」。辞書に「能忍(のうにん)」とは、お釈迦さまのこととあった。別に仏になりたくないけれど、辛抱は価値のあることだと教え込まれた気がする。  よく忍ぶ人を仏様というのなら、辛抱する力は「信じる力」から生まれるのだろう。ドアは必ず開く。良い結果を信じて待ち続ける。結局、辛抱とは「自分と未来と理想を信じ続ける力」ではないだろうか。その力は自分の心の中に生きている他者の言葉によって支えられている気がする。
心の中で生き続ける一言がある。昭和44年に北九州大学(現・北九州市立大学)に入学した。ちょうど学生運動の激しい折で学内は騒然としてはいたが、時代のうねりのようなエネルギーに満ちていた。サークル活動に夢中になり、自閉症児や脳性まひ児とともに、またたく間の4年間だった。幸い3年次の終わりに大阪本社の一部上場会社に内定をもらい、それなりに夢を果たしていた。
卒業間際、私の所属していた商学部ゼミの先生より電話。「すぐに研究室に来なさい」とのことだった。先生は、「君は長男なのに大阪の会社に行って福岡の親の面倒は誰が見るのか?」と問われた。それともう一点「大阪本社の一部上場会社に内定しているが、大学の建学の精神を知っているか?」だった。  「建学の精神は知りません」と正直に答えると先生は「北九州大学の建学の精神は“地元の中小企業に奉仕する”である」とおっしゃった。「人生で大切なものは何か」「より高い理想に生きているか」と問われた先生の思いは胸に染みた。結局、私は大阪の会社を辞退して、先生の紹介してくださった地元の製造工場に4年間お世話になることになった。
この前ふと気がついた。35歳で父の介護のために大阪から地元に帰ってきたことも、地元への貢献を大切にしたいと考えるのも、あのときの恩師の言葉が心の中に生き続けているからだと気がついたのだ。私は教師として、親として、恩師のように人の心の中にいつまでも生きて辛抱(心棒)を支え続ける言葉を伝えたいものだと思う。