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「正装」の間違いではなかった

メール世代の学生に感心するのは受け手を思いやることばの使い方である。学生ながら素晴らしい。「お休みの日にメールしてすいません」「体調の優れた時に見て頂けたらと思います」など。そう言われると、ひとつ頑張ろうと思う。

ことばの力はあなどれない。ファティック(phatic)ということばの働きがあるそうだ。日本語で「交話」などと訳される。交話は何かを伝えようというのではない。なんら生産的な会話でもない。ことばを交わしていると心地よいのだ。相手との関係が強まるからである。

あいさつはその代表的なものだ。顔を見たのにあいさつしないと関係が薄れていく。幼児とお母さんの会話や恋人同士のことばは典型的なファティックである。お互いのおしゃべりが二人の絆を作りだしてさらに強めていく。

この間、電車の中で母と幼児が話していた。「お母さん、煙突があるよ」「あら、あるねー」「煙突、大きいねー」「ほんとに、煙突大きいね」。何気ない会話なのに、聞いているだけで心は温かくなる。ことばの裏に秘められたものが熱を出し始めるのだろう。

意訳したらこうなる。「お母さん、煙突のあるこの世界はステキだね」「そうだね、ステキだね」「このステキな世界で僕は大きくなるんだね」「そうだよ、大きくなるんだよ」。

恋人同士のたわいない交話。「雲がきれいだね」「ほんとにきれい」「あの雲もすてきだよ」。

これを意訳した素敵な詩。「君が好きだというかわりに/朝の雲がきれいだと言った/君が好きだというかわりに/風がさわやかだと言った/君が好きだというかわりに/パンがうまいと言った/君が好きだというかわりに/テーブルクロスがいいなと言った/君が好きだというかわりに/…」(金田一秀穂「新しい日本語の予習法」角川書店)。

考えてみれば、もう長いこと「交話」をしていない。そこで今朝、車で送ってくれる妻に言ってみた。「朝の雲はステキだね」すると「上をみるとあぶないでしょう。ちゃんと足元みて歩くのよ」と返された。

忙しい今の時代には効率や力まかせの「効話」が求められる。余裕のない自分に気がつき、小倉駅前でバッタリ会った学生のことばを思い出した。よそいきの私の服装を見て「先生、今日はどうしたんですか?“変装”して」…。彼女は交話を試みたのかもしれない。ムッとしないで「フフフ、よく見破ったね」と応じればよかった。

中島俊介さんプロフィール

 北九州市立大学名誉教授
 臨床心理士・エッセイスト