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「僕の初夢」

こんな夢を見た。僕の研究室に桃太郎一行が立ち寄ったのだ。お茶をいれてもてなした。キジが言った。「北海道の留萌市が健康都市宣言をしたので“健康の駅”を作ってきました。北九州市が平和都市宣言をしたそうなので“平和の駅”を作りに来たんです」「これは意義のあることです」とサルが話しだした。

「ナガサキに原爆を落としたスウィーニー機長は回顧録で『二度までも、小倉の町は救われたのだ』と書き残しています。『二度までも』とはどういう意味かわかりますか」私が首を横に振ると。

「原爆投下のマニュアルでは投下目標がはっきりと目視できなければ落としてはいけない。だから当日の気象が重要でした。昭和20年8月6日。原爆投下目標の優先順位は、“広島、小倉、長崎”でした。テニアン島を出発した飛行機は8月6日の朝、ヒロシマ上空にきます。天候は晴天。目標の相生橋は9000メートル上空からもくっきりと見えたのでここに原爆を投下したのです」

ここまで一気に話したサルはお茶をゴクリと飲んだ。イヌが後を引き継いだ「20億ドルをかけて作った2発の原爆。残りの1発は三日後の9日に投下予定、優先順位は、“小倉、長崎”です。8月9日9時44分に小倉上空に来ますが、雲が多いのと前日8日の八幡大空襲の焼夷弾の黒煙とで目標が見えません。3度くりかえして投下を試みますが下からゼロ戦が10機上がってきたり、高射砲の高度が正確だったため、仕方なく第二目標のナガサキに向かいました。ナガサキ、11時2分原爆投下です」

ここで「暴力追放」の旗を手にした桃太郎が勇気りんりんとした声音で「つまり6日広島が曇っていれば小倉に原爆投下。9日小倉上空が晴れていれば小倉に原爆投下。小倉は二度の仮想被爆都市とも言えるのです。ですからスウィーニー機長は“二度までも小倉の町は救われた”と記録したのです。

北九州はこのことからも世界に“核廃絶”のアピールを発信する資格と責任のある都市なのです。“ヒロシマ・ナガサキ・キタキュウシュウ”なのですよ。ですから小倉発の“平和の駅”はステキな事業なのです」  桃太郎の顔は希望に満ちていた。ここまで聞いた私は山に芝刈りにでかけたのです。

中島俊介さんプロフィール

 北九州市立大学名誉教授
 臨床心理士・エッセイスト